以前、将棋道場で
「それは将棋の手じゃない」
「それは将棋にない手だ」
と言われたことがありますが、意味がよくわかりませんでした。
「将棋の手じゃない手」
「将棋にない手」ってどういう手なのでしょうか。
打ち歩詰めや二歩等のルール違反ではないので、
どんな変な手でも「将棋にある手」だと思うのですが。
将棋のセオリー(常識、理論)から考えて、
非常に損になる手、もしくは意味のない手など
「棋理に反する手」を「それは将棋にない手」と言います。
「ルール」ではなく、将棋の理論である「棋理」という
立場から見た判断です。
分かりやすい例として、まずい料理に対して「これは
料理とは言わない」とか言います。何も違法行為を
しているわけではなく、火を使って調味料を使って
作ったのに、とても食べられる料理じゃないからと言って
料理じゃない、っておかしいんじゃないか?というのと同じ回答です。
火と調味料を使ったからと言って、あまりに酷いと
料理とは言わないのです。
【補足に対して】
棋理とは国語辞典では「囲碁・将棋の理論」とあります。
また将棋用語集によると「将棋の道理。『棋理に反する』などど使われる。」
とあります。 「将棋の棋理に則った正しい筋」を本筋と言い、
本筋の手を本手と言います。
将棋と言うゲームを理論的に解析した結果、将棋に勝つための
理論(理屈、道理)が「棋理」です。
例えば、飛車先の歩を▲2四歩△同歩▲同飛と交換するのは、
飛車の利きを通し、一歩手持ちにする、という意味で「棋理」に
則った手です。このあと、後手が△2三歩として、▲2八飛と
して、次に相手が大した手を指していないのに、▲2五歩と
せっかく交換した歩を再び打ったとしましょう。これは「棋理」に反する手です。
再び▲2五歩と打つ手は、まず飛車先交換をした手が手損になること、
せっかく飛車先を通し、手持ちにしている歩を盤上に打つことは、
飛車を動きにくくし、せっかくの手持ちの歩を無くしており、
将棋の理にかなっていない手なのです。
無意味な手、みっともない手、悪あがきの手、プロにあるまじき手などのことです。昭和の頃ですが、芹澤八段と小池重明が酒を飲んでの非公式の対局で、小池が歩交換して手持ちにした歩を再び元々あった位置に打ったら芹澤八段は「それは将棋の手じゃあない」と言って小池の駒台に戻しました(やり直せという意味でしょう)。しかし小池は「ここに打たないとつぶれる」と言って応じませんでした。結果は小池が勝ちました。芹澤八段はチャランポランさ加減では小池と同様の人物でしたが、将棋の筋に関してはキビシイ人でした。
将棋やってるおじさんには将棋道を振りかざす人がいますが、つまりは「そんな手は将棋をやる人間が指すような手ではない。そんなへぼな手を指すな」という辛らつな意見であると思われます。
そういう言葉を気にしてると、将棋が縮こまってつまらなくなります。気にしないでどんどん自分が指したいと思ったとおりに指すべきだと思います。(もちろん、アドバイスは素直に聞きましょう。ただ、偉そうに相手をけなすような輩の言うことなど聞く必要ないです)
0 件のコメント:
コメントを投稿