2012年4月29日日曜日

ある一つのものを極めようとするにはそれ以外のことを絶つ決意って必要ですか?

ある一つのものを極めようとするにはそれ以外のことを絶つ決意って必要ですか?








metallic_clownさんのご意見に賛同します。



極める物事にもよりけりだし、考え方にもよるように思います。

その人とその人の考え方によって、道を極める為に他の道を断って専門学習をした方が

向いてる人と、総合学習が向いている人などがいるように思います。



絵画を極めるといっても、絵ばかりひたすら描く方法もあると思いますし、

逆に絵ばかりに没頭せず、一度絵を描くのをやめて、旅行したり普通に働いたりしながら、総合学習的に

世の中を学び広い視野と見識を持ってから、再び絵画に専念する事で、

より良い絵を描く事ができるような画家もいるように思います。





批評家を極めるという人が、批評にばかり専念せず、仕事をしながら

色んな趣味を持って色んな人と語り遊び、色んな書物を読んだりして、

同じように総合学習的に世の中で様々な物事を学び、幅広い見識を持つ事によって、

批評というものの道を極めるのに役立つのかも知れません。



高校の時に、囲碁のアマ強豪で全国大会に何度も出場していた先生がいたのですが、

寝ても覚めても囲碁ばかり10年以上も打っていた時期があって、

それだけ囲碁に専念しても、小規模な市の大会レベルですら一度も勝ち抜いた事がなかったそうです。



それだけ打っても強くならないので、自分には囲碁は向いていないと悟り、

その後3年ほど、囲碁から身を引いたそうなのです。3年の間、囲碁の事を忘れるような生活。

そして3年後に軽い気持ちで1回戦負けでも良いという気持ちで

大会出場したら、いきなり市の大会で初優勝、北海道大会に初めて行ってそこでもいきなり優勝、

全国大会で3回戦まで行ってしまったと。その後はもうずっと北海道では知られた強豪として

君臨してました。囲碁から離れて違う趣味や物事に目を向けた生活が、知らずに囲碁の上達に

つながっていたという事でした。しかしまた逆に、幼少時から囲碁一本で生き抜いてきた

強豪のプロもいると思いますが。



料理人の世界も面白く、奥深いですよね。



ずっとラーメン一筋、洋食一筋、和食一筋に生きてそれを極めようとする人もいれば、

道場六三郎氏のように、あらゆる食文化を総合学習的に学んだ上で、学んだ和・洋・中など全ての

エッセンスを和食に貪欲に取り入れようとした人もいますしね。もっともこの例の場合は

料理一筋という点で道は一本だったのかも知れませんけどね。








なにかを究めるということは「掘り下げる」ということです。



掘り下げた先になにかを掴むためには「穴を掘り続ける(一般にいう努力)」だけではダメなのです。

一見、なんの関係もないようなことも大きく左右します。このあたりが因果律では説明しきれない部分。



一般にいわれる「運」という要素。皆その法則に気付かない為「運任せ」などと考えてしまうのです。

運は自らの手で掴むのです。

宝くじで一等を掴むことですら同様。



さあ、この話の虎の巻。

なんとたったの五千円ポッキリ!



…最後の部分だけ、冗談です。







一つのものを極めるには、あらゆるものを絶たなければなりません。







極めるのに必要な時間が人生の大部分なら、外の事をやっている時間はないでしょうね。







他のことも広く知ることで理想的な姿が見えてくる事もあるんじゃ無いでしょうか?

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